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まんぼな毎日

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はりまやよさこい物語(十)武政英策氏が綴った「鳴子踊りの誕生」

あらすじ

昭和29年のよさこい初舞台に立った濱口賀世と
その舞台の下から踊り子達の姿を観て、猛烈によさこいに憧れ、
2年目から同じ舞台に立つことになる桑名眞紀。

2人共、当時12歳。同じ歳の少女2人が、
全く違った波瀾万丈の人生を経験した60年後に
「料亭濱長」の大女将、はりまや橋商店街の古着屋「よさこい本家」の女将となり
「よさこい情報交流館」OPEN、よさこい祭り60周年を
2つの感動的なよさこいシーンで盛り上げる。
本家本元高知県ならではの、壮大な歴史ヒューマンストーリー。

前回までのお話は、こちらのカテゴリからお読みいただけます。
http://mnnbo2.exblog.jp/i25/


はりまやよさこい物語(十)武政英策氏が綴った「鳴子踊りの誕生」

 昭和48年 よさこい祭り振興会より発行された「よさこい祭り20年史」に
「鳴子踊りの誕生」と題し、武政栄策氏が、こんな文章を綴っている。

 高知の城下に「ヨッチョレ、ヨッチョレ……」のリズムが誕生して20年になる。よさこい鳴子踊りの生みの親としては、我が子の成長はうれしいものである。

 昭和29年のこと、高知商工会議所観光部会の浜口八郎さんが「実は、市民の健康祈願祭に、なにか踊りのようなものをやりたいのだが、民衆にヒットするようなものを考えてみてほしい」との訪問をうけたのが、梅雨も明けた6月25日である。
 「祭りは8月10、11日と決まったので、7月1日から練習を始めんと間に合わん。ひとつ隣りの阿波踊りに負けんようなものを、歌詞も曲もいっさいおまさんが考えとおせ」わずか5日間でつくりあげろという、まことにムチャな話であったが、私は、よさこい祭りの出し物となる曲と歌詞と、踊りをつくるという大役をおおせつかったのであった。
 その晩から、さっそく制作に取りかかった。伝統ある阿波踊りに対抗するには素手ではだめだ…、思い付いたのが鳴子。「年にお米が二度とれる土佐において、何かやると言えば、鳴子は最高の圧巻だ。これなら阿波踊りに対抗できる」。
 次はリズムである。鳴子を手にしばらく振ってみた。阿波踊りは単純なデモンストレーションにすぎない。それなら、こちらはメーデーのジグザグ行進でいこう。ジグザグ行進に鳴子を入れるにはどうすればよいか。考えられるのは、行進の時に直線に打つことと、曲線的にまわすことの組み合わせであった。
 歌詞の着想は、当時、研究を進めていた「土佐わらべ歌」に「高知の城下へ来てみたら、じんまもばんばも、みな年寄り」という文句があった。また「郵便さん走りゃんせ」の中に「いだてん飛脚だ、ヨッチョレヨ」というのがある。私は、このヨッチョレの言葉が楽しくてたまらない。また、よさこい祭りというからには、昔から伝わる「よさこい節」も入れた方がよいだろう」以前私の作った歌に「ヨイヤサノサノ…」という”ハヤシ”があった。これも使ったら……。
 よさこい鳴子踊りの曲と歌詞は、このように、つまりはデッチあげであって、作詞でも作曲でもない。
 第一回のよさこい祭りが開かれた後で、いろいろな人たちから「なんでこんな下品な歌を作ったのか」という批判が出た。私は「歌詞はどう変えてもらってもケッコウ」と、柳に風と聞き流したことだったが、目あき千人、うろ千人のたとえ通り、支援者も多く、その時の一節が今も続いている。

 郷土芸能は民衆の心の躍動である。誰の誰べえが作ったかわからないものが、忘れられたり、まちがったりしながら、しだいに角がとれ、シンプル化していくものである。要は、民衆の心に受け入れられるかどうかが問題で、よさこい鳴子踊りにしても、時代や人によって変わってきたし、これからもどんなに変わっていってもかまわないと思っている。


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写真は2008年2月高知市文化プラザかるぽーとで開催された 
高知市文化プラザ開館5周年記念事業
武政英策生誕100年記念
第5回高知市民ミュージカル「音の旅人」
の舞台の様子

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写真は、2008年2月に上演し好評を博したことから、
2012年の10月に再演された
第6回高知市民ミュージカル「音の旅人」
の舞台の様子。
「はりまやSTORY」2012年11・12月号記事より。

高知発の文化財産であるよさこい祭りの始まりやエピソードが、
創始者である武政英策氏を軸として描かれている。
プロの演出家および地元スタッフの指導の下、
最終的に市民126人が舞台に立ち、入場者数も2,467名を記録した。

アンケートの感想欄には、「高知に生まれてよかったと心から思いました」
「高知のミュージカルとして、定番となり今後も引き続いていくことを希望します」
など、たくさんの熱いメッセージが寄せられ、作品評価も高かった。

この文章を、「はりまやよさこい物語(九)」の女将シンポジウムで語られた
賀世の記憶と照らし合わせてみると、当時の様子が目に浮かぶようである。

武政英策氏が、当時批判を浴びた時
「なんぼ変わってもかまんかまん」と言った
大らかな視点の持ち主だったこと。

そしてその武政氏を「じんま、ばんばいうて
言いゆうやいか。そのままでかまんかまん」と擁護し続けた
これも土佐人ならではの大らかな視点を持った
八郎氏の存在が、今日世界中で愛されている
よさこい鳴子踊りの発展の起源だったのではないだろうか。





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by mnnbo2 | 2013-08-22 16:47 | 『はりまや よさこい 物語』 | Comments(0)